倉橋 奈希砂
私の人生は途中まで、安定志向いわゆる『無難な道』を選んできました。高校へ進学し、大学へ入って、企業に勤めて働く。そして自分のチカラでお給料を稼ぐこと、それが自立することだと信じていました。
世間や社会から見れば、ごく一般的なライフスタイルで、何不自由のない生活を送っているように見えていたと思います。
私を知っている周りの人たちには、私はいつも笑顔で元気で、明るくて強い、そのように映っていたと思います。
ですが、私は『根無し草』で、いつも孤独でした。
自分の居場所を求めて、あっちへふらふら、こっちへふらふら…。どこにいても、誰といても自分の居場所がないという感覚が消えませんでした。
ずっと苦しい感覚と共にありました。自分の価値を見出せず、頑張っても頑張っても満たされない無力感。いつまで経っても消えない空虚感や、虚無感を常に感じながら生きていました。
私がこのような道のりを選択した背景には、高校生の時、両親が離婚したことが大きく影響しています。もちろんそのほかの様々な体験も、私の在り方や、人生を創っていく上で影響を与えていましたが、私の人生は、この事実をきっかけにサバイバルへと突入し、不安定な家庭生活を余儀なくされ、私は外側に安定を求めました。
存在意義を見出すために、孤独を感じないために、自分を殺して、環境に適応することでなんとか自分が存在することを、自分に許可していました。
本当はずっと気づいていたのに、自分の気持ちに嘘をついて、誤魔化して、大丈夫と自分に言い聞かせて生きていました。
しかし元々体感覚優位の私は、精神的に限界を迎えた時には、身体の方に必ずと言っていいほど影響が出ていました。
センスダイアログと出会った頃の私は、プライベートではパートナーとの関係に苦悩し、仕事では家族で仕事をする苦悩を抱え、暗闇の中で出口の見えない状態でした。
気力がない、動けない、涙が止まらない。辛くて、辛くて、どうしていいのかわからない。そして、ついに何もできなくなってしまったのです。
今振り返って「わたしはとても運がよかった。」と実感します。苦しみもがいている最中、センスダイアログは、わたしにとって一筋の光のような気がしたのです。
セッションとワークを重ね、約二年が経ちました。
私にとって苦しい感覚は、自分の心の声を聞く大事なサインであり、私は自分の宝物をずっと守ることができていたと理解でき、自分が生きてきた道のりを肯定することができるように変化しました。
この二年間、徹底的に自分と向き合ってきて、時には「大変で、もうやめたい。」と諦めたくなったこともありました。
ですが、それ以上に自分自身を知ることは、私にとって今まで感じたことのない喜びや楽しさを感じられる体験だったので、ここまで続けることができ、自分を大切にする、自分を愛する自分へと変化してきました。
自分の内面が変化していくと、不思議と現実が動き出し、今まで抱えていた課題が解消していきました。
そして今、こうして認定ナビゲーターとして自分の感性を活かして仕事をする自分になることができたのです。
懸命に生きてきた方々が、これまでの自分を愛して、自分の内面にある要素を取り戻し、自分らしさを自分の力で見つけて、本来の自分を生きる喜びを感じる、幸せを実感できる自分になる体験を、愛を携えてサポートをさせて頂きます。
青山 早苗
前職は、介護福祉士や生活相談員として病院や高齢者施設で勤務し、現在は、小学校の教員補助をしています。
プライベートでは、四世代8人家族の嫁として、一男二女の母親として毎日を過ごしています。
考えてみれば、私はいつも「様々な人」に囲まれて生きてきました。
人間の悩みの最たるものは「人間関係」であり、「自分との関係」です。
多くの葛藤を抱えた私には、その解決方法が必要でした。
心理学やカウンセリングスキルを10年近く学びました。
元来探求心の強い私は、数秘術や占星術、そして宇宙の理まで行きつきます。答えを探し続けてきました。
その頃、友人の紹介でセンスダイアログに出会います。
衝撃でした。「自分のやりたかったスタイルのセッション」を目の当たりにしたからです。
それは、とても現実的なものでした。
センスダイアログは「自分」とダイレクトに向き合うアプローチです。
「自分を承認する」「自分を理解する」「自分を許す」
など、学んでも学んでも実際には出来なかったことが、身体感覚を伴って出来た喜びは、言葉で表せないほどです。
自分とダイレクトに向き合うというのは、簡単なようで心理的抵抗が大きく、少し難しいのも事実です。
それでも多くの方に、私のような感動を味わって頂きたく、私自身も更に成長していきたいと思っています 。
海藤 奈歩
私は19歳の時、母と共にタルトのお店(BlackBirds)を立ち上げるため、当時通っていた専門学校を中退しました。
仕事を始めた頃は、何もわからず、とにかく必死で、自分にできることを自分なりに考え、長女として母を支え、妹を支えながら、家族とお店を守るということを第一に考えていたと思います。
そして、試行錯誤しながら、独学でタルト作りと向き合い、気づいたら24年が経ちました。
わたしは、企業に就職したこともなければ、専門的にお菓子作りを勉強したこともなかったので、
常に劣等感みたいなものが付き纏い、自分に自信が持てず、心の中は葛藤だらけでした。
しかし、思い返せば、わたしは学校で教えられる勉強にほとんど興味がなく、またその教え方や、
一つの正解だけをマルとすることに、ずっと違和感を持っていたので、
タルト作りを自分独自のやり方で、経験して、積み重ねていくスタイルが、結果的には自分にとて
も合っていたなと、そう感じています。
飽き性のわたしが、今も毎日楽しく仕事を続けられているのは、自分の感性を信頼して、
自分の手で生み出し、創造して、自分が納得できるものを形にすること=「もの作り」が純粋に好きだからです。
言葉にできないものを、タルト作りを通して表現できること、そこには、五感を通して言葉以上のものがお客様に伝わる、という喜びがあります。
自分のスタイルを貫いてきた経験を生かして、「みんな同じじゃなくていいんだよ。」って、
気楽に生きられるお手伝いができたら嬉しいです。
田口 たかえ
センスダイアログを始めて8年が経ちます。
はじめてのセッションで、
「私、人生であんまり怒ったり、怒れる事ないんですよ」と、言った事を思い出します。当時の私は妻で母で美容師で経営者でもあり、沢山の役割を必死で生きていました。
今だからわかる事ですが、人は自分を安全に守る為に自分の感覚を無かった事にすることができます。麻痺させる感じです。痛みも感じにくいですが、同時に喜びや幸せなど、どの感覚も麻痺化されてしまいます。
ですがそうするしか無いほどに一生懸命でした。
そんな時に、自分自身を全てで理解する、このセンスダイアログに出会いました。
センスダイアログは今までの何かを目指したり、目標を立てたり、努力したりという成長の仕方とは異なります。自分の中から取り出し、認め、育てていきます。
私は大人にこそ必要な成長方法だと感じています。
今まで、世の中の常識に外れず頑張ってきた事も大事な土台となります。
日々美容師として沢山のお客様と携わり、人間って真剣に生きていると感じます。
だからこそ、苦しみや、悲しみ、喜びも生まれます。
自分が生きてきた全ての体験を土台に、外から身につける方法ではなく、ずっとそばにあった、あなたならではの資質を取り戻すお手伝いができればと思っています。
杉浦 祐子
人当たり良く、いつも笑顔で、腹は立てずに、明るく、楽しく、気は長く、何事もポジティブに!を心がけて生きていました。そもそも、『心がけて』いること事態、できていない不自然な状態ですよね。
幼少期の私は、おとなしい性格で、人と接することが苦手な子でした。小学校では、明るい子を見て『あ〜やって人と接すると楽しい雰囲気になるんだ!』と接し方を学び、『こういうのは雰囲気を壊すんだ』『あれはやめた方が良いな』など無意識に人間観察をしていました。社会に馴染めるように、人間関係を円滑にするために、学校や親の厳しさは必要不可欠なことだったと思います。そして冒頭のような『作りだされた人柄』が出来上がったのでしょう(笑)多くの人がそのようにして社会性を学んできていると思います。
私は元看護師です。患者様との関係性や、雰囲気作りにおいては役に立った人柄だったと思います。しかし、空気を読んで、人の顔色うかがい、こうあるべき、これが正しい…と他人軸で生きていました。自分の気持ちは後回しするのが当たり前のように思っていました。職場の人間関係、良妻賢母を目指した子育て、ママ同士の付き合い方も『作りだされた人柄』で接していました。月日と共にどんどん疲弊していく自分がいました。
自分がわからない…気づけば、本当の自分を見失ってしまったのです。何が好きだった?何が楽しいの?このままで良いの?何をやっていても孤独感や罪悪感に襲われていました。考えても答えの出ないことを頭の中がグルグルしていました。そして、原因不明の体調不良にも長い間悩まされてきました。
誰に、何を相談して良いのかもわからない状況でした。負の連鎖が続き苦しかったです。多くの自己啓発本も読みましたが、一時的な理解です。「暇だから色々考えちゃうんだよ。考えすぎだよ。」「世の中にはもっと苦労している人はいる。」「ありがたい環境に感謝したほうが良い。」の助言も、どれも間違っていない、その通りなんです。ごもっともなんですよ!でも、生きにくい…。
社会的な風潮なのか、教育なのかわからないですが、ポジティブは良くてネガティブは駄目なものと信じていました。
色で表現するならば、白色が正しいと言われれば白色になろうとします。黒色は間違いであるとして、黒色を消そうと頑張っていたんだと思います。
しかし、自分の中に白色も黒色も、境界線のないグレーも存在します。どの色を選択しても良くて、誰かが決めた色を選ばなくて良かったのです。
セッションを通して気づいたことは、「どんな自分も、自分そのものでしかなかった」という、当たり前のような事がわからなくなっていたということです。否定していた本来の自分も『作り出された人柄』も、当時の自分には、否定だと感じたり、不自由さを感じていました。今思えば、それも必要不可欠なことでした。
それで良かったと腹の底から理解した時、体も心も楽になりました。力が抜けたらこんなに生きやすいものなんだ…と驚いています。
自分の価値観や思い込みが、はずれることで視点が変わります。そして、腹の底から理解が進みます。腹の底からの理解が、生きる喜びとなり、心と体の変化につながります。生きづらさを感じている人達に、この体感を味わってもらいたいです。
稲垣 嘉子
私は幼少のころから、還暦になった今でもソフトボールをやっています。
長い期間団体競技をやっているので、人との関りを人一倍体験してきました。
その中で、あらゆる人間関係の問題を経験してきました。
私は、自分自身の内側に『短刀』のようなものがあるのを、長年感じてきました。
同じような感覚を持っている方もいると思いますし、逆に私のような感覚を怖いと感じる
方もいると思います。
刃物は、美味しいお料理を作ったり、家を建てたり、私たちの豊かな生活を創るために欠
かせないものです。でも使い方によっては、人を傷つけるものでもあります。
私にとって、自分の内側に感じている短刀は、思いやりや優しさを生みだすものです。
ところが、私はその大切な道具を上手く使えずに、思いもよらない誤解や摩擦を生みだし
たり、人や自分を傷つける結果となったりと、長い間混乱してきました。
「なぜなんだろう」「どうして・・・」と。
また、私は目にするもの、耳にする情報を大量にキャッチします。
(ソフトボールのポジションはキャッチャーです^^;)
その大量の情報を思考の中で、まるで山手線のようにエンドレスに回し続けるのです。
途中下車することもなく、ただただ新しい情報が増えていく。
解決することもなく・・・
1人、よく泣いていました。
そんな時、センスダイアログという個人セッションに出会い、自分自身が大きく変化して
いきました。短刀は自分の中にきちんと収まり、徐々に自分の思いに沿って使えるように
なっていったのです。
そして、思考の中の山手線も消えていきました。
しかしそれは魔法のようにそう変化したのではありません。
丁寧に時間をかけて、傷つきやすい私に寄り添ってセッションをして頂いたおかげです。
人生の中で、自分を守る為に身につけてきたことを手放し、逆に封印してきた自分らしさ
を取り戻していきました。そして、それらすべてが「生きぬく」ためで、そんな自分を愛
することが出来るようになったのです。
これからは、かつての私のように、出口のない息苦しさを感じている方に寄り添っていき
たいと思います。
私が経験したように、自分を認められた瞬間の、心と体が軽くなっていく初めての体験を
お手伝いできたらと思っています。
身障者の祖母と暮らした幼少期
30歳まで結婚できなかった時の葛藤
一人娘の子育て、45歳での離婚
現在は89歳の母との2人暮らし。
一人娘を嫁がせたときの思いや、
たくさんの思いを心に詰め込んでいます。